有事のルール−:「ファーイーストが負った借財」  [迫りくる法改正の荒波−23]

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有事のルール−:「ファーイーストが負った借財」  [迫りくる法改正の荒波−23]

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有事のルール−:「ファーイーストが負った借財」  [迫りくる法改正の荒波−23]

 

前回は、私達の老後を支える年金資産が、米国債購入に充てられている件(GPIF問題)を通して見える、巧みな属国化のプロセスを取り上げてみましたが、少し詳しく調べてみると、この様な取り扱いは、形こそ異なれ、既に100年以上前から行われてきたことが改めて判って参りました。
そこで今次レポートでは、そのきっかけとなった出来事から話を進めてみたいと思います。

 

一般に紛争や戦争は、表面上、終・停戦をもって幕が引かれ、戦後処理へと引き継がれてゆきますが、地政学的な要因によって惹起されたものは、その構造が大きく変わらない限り、歯止めが掛かり難い−とされています。

 

例えば、21世紀の今日に至るも尚、残り続ける19世紀の構図−。

 

明治維新(正確には「戊辰戦争」)に少なからぬ影響を与えた要因の一つとして幾度か言及したクリミア戦争は、生産技術の飛躍的発展と近代化をもたらす引き金となりましたが、戦のそもそもの動機(帝政ロシア側)は、不凍港の確保にあった−というのが通説です。

 

広大な領土を有するものの、厳しい気候と地理的要因により、海洋への出入りと軍港確保に大きな制約を受けていたロシア。

 

そこから導き出された「南下政策」=帝国主義を象徴する侵略政策=は、当時の必然的帰結であったとされていますが、それは日本にとっても当然他人事ではなく、直接的影響に限ったとしても80年余りに亘って重い鎖を引きずり続ける因果を招いたのです。(後述)

 

問題の地クリミア半島は、現在、ヨーロッパに繋がる天然ガスパイプラインの大動脈が通る経済的要衝と化すなど、歴史的な変化も認められる一方、半島先端のセヴァストポリはロシアにとって、オスマントコの衰退以降、相変わらず地中海に抜けるシーレーンの拠点であると同時に、氷で閉ざされない軍港として軍事的、戦略的に極めて重要な役割を担い続けており、ウクライナ紛争は、起こるべくして起きた−と云われる所以となっています。

 

帝政末期のロシアが選択せざるを得なかった南下政策は、当然ながらファーイーストをめぐる欧米列強との軋轢を生じ、それが多大な犠牲(日本軍8万8千4百余、露軍4万2千6百余、併せて13万1千余名の戦没者)を生む事となる日露戦争に直結すると同時に、つい最近=1986年=まで延々と続けられていた調達戦費の返済という、重い荷物を日本に背負わせて来たのです。

 

にも拘わらず、開戦2年前の日英同盟こそが、バルチック艦隊の沿岸燃料補給路を狭めて遠路航行を余儀なくさせ、軍事面で日本海海戦の劇的勝利を呼ぶ一方、それが機縁で実現した戦時公債発行が戦争遂行を裏で支えた−とする、強かな相手の正体を見誤ったとしか思えない声が、遺憾ながら未だに聞かれるのも事実です。

 

国家の存亡に関る直接的脅威に晒されたのは、確かに日本ですが、中国に於ける権益を血も流さず確保し、金利と云う上前まで永年に亘り懐にして来たのは一体誰だったのか−終りなきファーイースト問題に迫って見たいと思います。

 

●強兵政策を推し進めてきた日本にとって、日露戦争は、常備兵力20万人の凡そ44%に当たる戦力を失う程の、正に国運を掛けた一戦に他なりませんでした。

 

けれどもそれは、中国・朝鮮という他国=植民地=における権益をめぐる、単純な二国間の争いというより、背後に英米独仏等が控える「代理戦争」というのが実態だったと思われます。
実際に血を流したのは、日露両国民(多くは農民・労働者)であっても、守られた権益の大半は欧米列強のそれであった=大国ロシアとの戦を欧米列強にそそのかされ、火中の栗を拾わされる日本の姿を描いた当時の風刺画が、それを最もよく表現している=と云って良いからです。

 

●そしてそれは、もう片方の富国政策も瀬戸際に追い込もうとしていました。争遂行に伴う莫大な出費です。

 

切羽詰まった戦時財政を担ったのが、「だるま蔵相」の愛称で親しまれた、他ならぬ高橋是清(当時は日銀副総裁)その人です。後に、2.26事件の標的となり、凶弾に斃れる事となるこの人物は、実は別の面=本来の役割=でも、正に平成の今日と、非常に密接な関りをもっています。

 

未だ「リフレーション」(財政規律主義に基づく金融引き締め策から、緩やかなインフレによる景気回復に舵を切る金融政策)という用語すらない時代に、世界で初めて、金本位制停止を媒介とするリフレ政策を実施したとされている事もあって、まるで20世紀初頭の状況(19世紀後半の陰影)が、1世紀の時を隔てて一足飛びに現在と直結している様に見える、その理由がここにあるのです。

 

●処で、資金調達の為、同盟国の英国まで渡航し、必死の説得と血のにじむ交渉の末、彼がかき集めた戦費(主な貸し手は英国の銀行家や米国のユダヤ系銀行で、リーマンブラザーズの名もある。既にこの頃から、金融資本が密かに世界を支配し始めていた様子が伺える。)は、当時の国家予算の60年分と云う途方もない額

 

これに約定金利を併せた借財総額を返し終えたのが、何と1986年(昭和61年)-日露開戦から数えると、80年余りも掛けて返し続けていた事になります。
80年と云えば、明治はおろか大正を突き抜け、昭和も末期に差し掛かった頃−

 

●ここで、誰しもが抱く疑問があります。
「1914年〜18年の第一次大戦では、戦費を要したとはいえ被害も殆どなく、日本は漁夫の利を得たとされているので、多分帳尻はあったに違いない。が、その後の太平洋戦争では、食料は云うに及ばず軍需品にも事欠く有様で、鍋釜の類まで供出させられる程だった筈。そんな苦境下でも借金の返済を、しかも敵国たる『鬼畜米英』に行っていたというのは、本当なのか?もしそれが事実なら、実に驚くべき話ではないか!」

 

−庶民感覚からすれば、真に耳を疑いたくなるストーリーです。

 

けれども、身も蓋もない言い方をしてしまえば、喧嘩と金の貸し借り=政治と経済=は別物−と云うのが恐らく、国際関係という魑魅魍魎の世界の深層に他なりません。

 

実際、太平洋戦争中も、正に鬼畜米英との間で、今でいうリスケ=利息支払いのみ続行し、元本返済は一時的に停止するという措置=による借財返済が行われ、それが戦後になると、元本も併せた本来の形に戻された結果、昭和の終わり頃まで返済完了に時間を要する事になった、というのが真相の様です。

 

●それゆえ米国の占領・復興政策には、冷徹な思惑=40年も前の借金取り立てを逸早く軌道に乗せる為、産業復興に手を貸す一方、学校給食を通じてパン食文化を普及させる目的(当時米国は、小麦等の過剰在庫を抱えており、その捌け口−将来の輸出先−を確保するマーケティングの一環として敗戦国日本に、いわゆる「コマセ」の役割を果たす食料の無料配布を行ったと云われる)=が背景にあった事を、決して忘れてはならないと思います。

 

「毟り続けられるファーイースト」という絵柄は、決して大げさなものではなく、今も続く現実なのです。

 

著者/

夏目 雅志  / 三友企業サービスグループ

常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。

 

 

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